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占いの誕生

天と地と人の関係性を読み取り
人の運命を推測する学問と技術

 

占い・・・科学以前の叡智

人間が自らを”万物の長”と呼ぶのは、人間が他の動物と違って”物”を用い、それらを”道具”として操るからだという。(いまや、その定説はくつがえされつつあるが)物という道具が生み出されたのは、人間が生きていくために必要性を感じたからである。人は物を道具として使いこなすことで生活の様式をより便利にしたいと考え、時に身を守る手だてとして重要な意味を持たせた。そして、その成り立ちには何世紀にもわたる学習と経験の積み重ねがあった。そして人間は道具を使うサルでもあったが、同時に考える葦…思考するサルでもあったのだ。動物は自然や自分の位置する世界を受け取れるが、我々人間は自然の節理やそれらが引き起こす現象、目に映る世界への疑問を解くことに執着し、そしてそれらを掌握しようと努力しつづけた。


かくして、我々は科学という知恵、人類であるがゆえの才能の産物を所有するに至ったのである。さて現代科学が科学としてあるのはほんの数世紀の間を経て今日までというわずかな、人類の歴史上ほんの数ページの出来事にしか過ぎない。
科学はいきなりそこに派生したわけではない。人間が科学と今日呼ぶ分野において、その礎となった動機と思想、取組み方はそれより以前に存在していた。永きの間、神の奇跡、悪魔の仕業、霊のいたずら、オカルト(錬金術)など、宗教や魑魅魍魎の類に彩られていたもの。無知なるがゆえか、そのように恐れ崇められ、伝承として語り継がれていたもの。


科学はこれらへの疑問を解き明かし、人間を神の知恵に近づかせてくれる道具となった。
そして、今我々の前には、現代科学が整理整頓されてきた中で、不用とも分野外ともして片づけられてきた思想、過去においてはその価値を誇っていたものが目の前に残されている。

 

生への渇望

人類最古の職業は売春だと言われるが、おそらくそれ以前に占いは存在していたのである。

進化論からも解るように、動物は次の世代へと確実に生き残っていくために進化していく。生き延びるために…外敵から身を守るために、あるものは皮膚を固くし、あるものは集団で行動する事を覚え、時に逃げのびるために俊敏な瞬発力を身につけていった。こうして多くの動物(植物)たちは長い時間をかけて学習し、体質や機能を進化させ、環境に適応し、自身の種の改良を果たしていった。

これは肉体的も個体としての種の変化である。が、それだけでは不完全である。これと同時に次の世代へと確実に種を伝えていくための知恵をも培う必要があった。全体としての種が生き残るためには、同じ種の中でも弱き血よりも強き血を残していく必要性がある。よって生殖にあたってオスは争いを起こし、それに打ち勝った強き血を有する物だけが子孫をのこす特権を与えられるというふうに。争いのない場合でも、他の外敵から身を守り生き残れた者だけが次世代へと血を伝えていく。

そして、生き残るための条件としては、防衛・・すなわち身を守る事だけでなく、命を維持し強い体を培うための糧を得ることも当然重要なのであった。餌場を感知する能力、水のありかを知り、それらを探し出す機能、いかにして餌を獲得するかの技巧及び知恵などなど。

人間は鋭い牙や爪を持たない変りに道具を手にした。武器を作り、獣が畏怖する火を手に入れ、外敵からの浸入に備えて安全な場所を住処として選んだ。人間がまだ狩猟をしていた頃、獲物の捕獲には当然生き残っていくための問題が切実に関っていたのである。
簡単に手に入る獲物なら、罠を巡らせ、皆で力を合わせれば良いが、その獲物の姿がとぼしく、見えない時などは、獣の習性を知る必要があったし、そのありかを探したり、何処へ移動すれば効率よく狩りが出来るかを探る必要性があったのである。


動物がどの道を通るのか、どの方角へ行けば豊富な餌と水を手に入れられるのか知りたがったし、また大漁・狩の成功を神へ祈った。このようにして彼らの行った最初の、原始的な占いは「生きることへの渇望」が生んだ、切実な祈り・・生物としての情動であり、欲求であったのだ。

占いが派生した背景には、食べること(食べ物を確保するための知恵)と外敵・危険から身を守ることなど、族としての種を絶やさず、個体としての自身の命を伝えていくための極めて単純な原始的欲求、集団的な意志が働いていた。

 

占いと呪術、そして宗教

しかし、占いにより、獲物が見つからない、と出たのなら? それでは済まされない。答は簡単だ。見つからないのであれば、見つかるように何かの力にすがるしかない。それゆえ、占いは常に呪術を伴う事となる。
かくして、人は創造主の慈悲にすがり、呪いという、見えない力に働きかける方法を知った(創造)のである。
やがて人々は作物を育てることを覚え、狩猟生活から農耕をして定住する生活へと変わっていった。


が、ここでもまた作物は天候に左右される。日照りが続いては雨を乞い、雨が続いては太陽の復活を待ち…そのように毎年予想のつかない自然現象との戦いの前に、収穫を確保するため、ここでも占いと呪術は必要な存在であった。

この占いまた呪術を行う存在は、呪術師、またはシャーマンと呼ばれ、集団の中にあっては集団をまとめる長とは別に、集団に対し、特有の力を持った存在となっていった。

 

君主、国の命運と民衆の運命

さて、人間とはかよわき存在である。人間が種の存続を続けて生き残っていくためには集団になって生活し、共同して生きる必要性があった。そして、群れには統率者たるリーダーが必要だ。やがて人間は繁殖し、一つの集落は大規模になり、別の集落との接触を産むことにもなる。すると必然的に起こってくるのが、縄張りなどをめぐっての争いでもあった。

集団の統率者…君主たるものの運命は、その下に身を寄せ合って生きている者達の、まさに運命でもある。王が戦に負ければ、自分たちは相手の奴隷になるやも知れないし、滅びの道を辿るかも知れないのだから。つまりは君主たるもの、民衆の運命を握っている存在といっても過言ではない。
そのような意味を持って、占いや呪術というのは、天候や災害の発生を予知し、それに備えるというばかりではなく、君主たるもの、その者たちの命運をも予知する必要性が生まれた。君主や国自体の運勢を知るために、そこで初めて、個人の運勢(吉凶)を占う技法が確立され、発展していったのだ。


個人という一人の人間と宇宙の理との関係、すなわち個人の生涯を知るための占い、それはながきの間、エリートたちのみ伺い知ることが許された知恵でもあった。

 

やがて大衆へ~個の占いの時代

長きの間、個人に対する吉凶占いは主君たる君主とそれに属する貴族たちのための高度な学問であった。が、やがて、そのような場所(お抱え占い師)から外に出た者達が民衆の間に流布させることになる。
特権階級のものであったところの個人の命運占いが、庶民にまで普及するようになったのは、日本では江戸中期以降、西洋では17世紀になってからである。

※インドやその他の地域では解らないが、少なくとも中国ではもっと早くから民衆には普及していたようである。