©2019 by Medicine Wheel. Proudly created with Wix.com

占いアーカイブ

兆学(ト占)・相学・命学についての書庫

 

占いの系譜

占いの源流は、今なお原始に近い生活をしている先住民族たちの生活に見ることができる。そしてその民族に伝えられる民族の創成、伝承、神話(民族としてのアイデンティティ)を知ることによって、その占いの成り立ちや占いが意味する(表す)シンボルを理解することができるのである。

 

占いが生まれた背景には、人間の生存本能という原始的な欲求がある。その占いの道具、手段と方法、占いを行う日時、民族にとっての占いの位置付け、は立ち戻ってみるとその民族と土地の歴史的背景と思想的問題すなわち信仰・宗教と密接にかかわっており、また切り離しては考えられない事象でもある。 私たちは、占いのルーツ・・・その時代に生まれた占いの方法、各時代に流行した占い、占いに使われた道具etcを知ることによって、世相を知り、人類(民族)の歴史・思想を知り、そこに生きた人々をも知り、時代をも知るという事が出来るのである。

indian-art-467709_1280.jpg
 

世界各国に見られる占いは、「占い誕生」に上げる三つの亜流のどれかに分類する事ができる。故にまったく大陸的交流のない地でも、単純な原理を持つ占いは方法その他に共通点を見いだすことができる物も多い。複雑な学問体系によって構成されている占いは、民族の移動、文明や国家の吸収征服、シルクロードに代表される貿易の交流によって広まっていったものと思われる。そして、その時代と土地や民族の特色により塗り替えられ変遷の道を歩んだものも少なくない。

 

巫女と占い

巫女・・シャーマンの存在は、世界中のあちこちで今でも見ることが出来る。彼らは神に仕え(または神と結婚し)、神の声を聞いては、神に祈った。ときにその対象は自然に宿る精霊であったり、先祖の祖霊でもあった。

彼らは民の中から(または神から)選ばれた存在であり、一般人よりもその能力を有しているとされ、畏怖と尊敬を集めていた。シャーマンは神と民の仲介人・・つまり神の代理人でもあったのだ。
古代の社会では、宗教も政もすべてが渾然一体となっていた。


シャーマンはその民が崇拝する神に伺いを立て、民を導く印を求めた。すなわち、これが神託であり、最初の原始的な占いである。また、獲物が確実に獲れるように・・作物が無事に育つように・・神に祈りを捧げた。人は神に祈りを届けるため、貢ぎ物としての供え物をし、火を焚き、香をくべ、祝詞を唱え、踊りを踊った。そしてその神にふさわしい、神の名にちなんだ行いをして神に捧げ、あやかろうとした。これが神事であり、祭事の原型である。


日照りや雨が続いたときには神が機嫌を直してくれるよう、許しを乞おうともした。病に罹った者がいた時には、病の回復を祈祷した。呪術の始まりである。
古代においては、シャーマンは占い師にして神官(祭司)であり、呪術師にして医者でもあったのだ(今で言う医者とは異なるのは勿論である)。

ギリシャにはヘタイラという神殿娼婦たちがいた。彼女らはキリスト教以前の古い神々のひとり、ウェヌス神に仕える巫女たちであった。このヘタイラたち・・これは現代でいうような売春行為とは意味が異なっている。彼女らはグレートマザーたる母の代わりに、施しをしていたのである。あくまで女神の代理人として・・・神殿に供物をしにきた者たちと交わることで女神の恩恵に触れさせるという、一種の宗教的意味があった。これは後にキリスト教によって大いに批判されることとなったが・・・

もちろん、ギリシャの巫女たち(ピュティア)のすべてが、そうした役割を持っていたのではない。デルフォイの神殿にてアポロンに仕えた巫女たちに代表されるように、神と婚姻し、純潔を通した者たちもいる。彼女たちは神の言葉を求めて殺到する依頼人たちに神殿のベールの向こうから神託を発していた。


日本で有名なのはまず卑弥呼である。彼女はシャーマンであり、指導者であった。
九州のシャーマンは「おらぶ」または「乱声(らんじょう)」と呼ばれるような、叫びをあげて、狂乱状態に陥って神託を得るのだと言う。これはどうやら大陸から渡ってきた形態らしい。朝鮮半島や中国の東北では鼓や琴などの楽器を演奏しながら神の声を聞くという巫女たちが多く存在していた。けれども、この方法は日本ではあまり神事に取り入れられず、大衆化して芸能へと流れていった。
心を鎮めて言霊を聞き取るといった”サニワ”タイプの巫女たちの方が、神憑り的な雰囲気を漂わせていたからであろうか・・・

面白いことに、男性のシャーマンが女装したり、女性のシャーマンは男装するなど、本来持って生まれた性を否定するというか、逆の性を真似ることによって、並以上の力を得ようとする傾向がシャーマンの歴史の中には多いようである。
これは中性化することによって、男女の性を超越し、常人を越えるための行為なのかも知れない。魔術や呪術の世界には未だにそうした目的の修行が多く見られる。

 

津軽の巫女(イタコ)

オカルト好きな人やオカルトに詳しい人であれば、青森といえば恐山、恐山といえばイタコ、と連想されるようですね。そして、そんな人たちでさえ、以外とご存知ないようなのですが、イタコと呼ばれる霊媒の人たちは、恐山又はその周辺に住んでいるわけではないのです。

イタコ=恐山の図式は、恐山霊大祭(毎年7月に行われます)の時のみ。大祭の時には(実は私、まだ一度も恐山に行った事がないんです! 行ってみたいよぉ!)聞くところによるとイタコさんが一杯だそうです。では、普段のイタコは何処に住んでいるのか? 実は私が住んでいる弘前にも、イタコは住んでいます。

イタコをよく知らない方の為に、少し、私の知っている限りで御教え致します。イタコ(漢字では巫女と書きます)になるには、以前は盲目である事が条件だったそうです。「盲目(めくら)の女子(おなご)はイタコになるか、あんまさなるしかね」(通訳致します、盲目の女性はイタコになるか、マッサージ師になるしか仕事がない、という意味の津軽弁です)と言われたものだそうです。


最近ではやはりオカルトブーム、心霊ブームからなのか、一時期なり手がなくて存続の危機に瀕していた(本当)のですが、若い娘さんの志望者も何人も出てきているそうです。もちろん彼女たちは盲目ではありません。
そして、誰かのセンパイのイタコの所へ弟子入りし、家事一般等をしながら、修行をするのです。一通りの修行が済むと時期を見て(これは修行先の先輩イタコが判断します)”卒業試験”のようなものがあります。一人前のイタコ、つまり霊媒としてゃっていけるかどうかの試験です。その試験というのは実際に霊を降ろすのですが、水ごりをし、くどき(イタコ専用の呪文と思って下さい)をして、トランス状態になり、本人の意思とは関係なく、言葉が口をついて出てくるようになれば合格という事になり、「イタコ免許皆伝」となるのだそうです。

そして、彼女たちは津軽地方に点在していて、普段は霊媒として誰かの話を聞いたり、その能力いかんでは浄霊する人もいるそうです。

以上は私が伝え聞いた話や、本の受け売りです。参考文献は 津川武 著「巫女-神がかりのメカニズム」です。地元の出版社なので、もしかしたら逆に都会の本屋さんにはないかも知れません。著書は元代議士で精神科医。現在は故人となっております。心電計、脳波計等も使っていてなかなか面白い本ですよ。心霊や精神分析に興味のある方は、是非ご一読下さい。

次に実際私が会ったことのあるイタコの話をしましょうね。最近はしなくなりましたが、以前は私達が夏休みに入ると、年中行事の如く、必ずあるイタコさん宅(自宅兼仕事場)を訪れました。弘前からはだいぶ遠いので、朝の5時頃からワゴン車で出かけました。

そこは金木町といって、太宰治の出身地で、最近は吉幾三の家がある、というので有名な小さな町です。

そこに住んでいるSさんというイタコですが、私達は親しみを込めて「オバサン」と呼んでいます。(ちなみに母や叔母たちは私が占いをしにいく事を「カミサマしに行く」と言います)。我々占い師や他の霊能者と呼ばれる人たちが、それぞれ自分の得意とする分野ややり方が違いますが、カミサマも同様です。
このSさんというカミサマ、「当たる」と評判で、上記の通り朝5時出発で、7時頃到着。それでも昼過ぎでないと順番は来ないのです。

そんな彼女のやり方は、降ろして欲しい人、又は悩んでいる人の生年月日(亡くなった人は命日)、それが解らない場合は年齢(亡くなった人は享年令)と性別を書いた紙切れを渡します。するとそれを一目見て、Sさんは巫女特有の「口説き(地元では口寄せといいます)を始め、一段落したところで降りてくる霊もいれば、一区切りだけで降りてくる霊もあります。もちろん、逆に一区段落どころか、二巡りしても降りてこない霊もありますけど。

それ以降は、他を知らないのではっきりは言えませんが、多分他の霊媒の方たちと同じだと思います。口説きの文句はどの巫女も々らしいです。独特なもので、しかも津軽弁です。そして、太鼓を叩き、鐘を鳴らして口説き(解りやすくいえば呪文ですね)を唱え、彼女たちはトランス状態になって、霊を呼ぶのです。呼び出された霊は巫女の口を借りてかつての家族たちや友人たちに話し掛け(もちろんこれも津軽弁で、しかも節がついたしゃべり方なので聞き取りにはコツがいります)、悩み事に答えるのです。霊が帰る時も同様で、口説きが終わりの合図となって、霊は帰ります。


文・弦月 辰沙